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群馬交響楽団 クラシック スペシャル (2016/2/28)

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2016年2月28日 15:00~、桐生市市民文化会館 シルクホールにて。
指揮:小林 研一郎
ヴァイオリン:松田 理奈

プログラム:

Mozart, Wolfgang Amadeus:歌劇「フィガロの結婚序曲」
Mendelssohn Bartholdy, Felix:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
Dvořák, Antonín Leopold:交響曲第9番 「新世界より」ホ短調 Op.95

小林研一郎さんはどのくらい群響を振られているのかよくわからないが、このコンサートのリーフレットには「炎のマエストロ 世界のコバケン初登場!!」のコピーがある。

僕の小林さんの印象はハンガリーの指揮者コンクールで一等を取られて、帰国されたとき東響であったか Beethoven の交響曲のリハーサル録音をあるFM局の放送で聞いて、その曲に対する情熱のこもった幾分東北弁の礼儀正しい話し方、そして創り出す音楽の素晴らしさに感銘を受けたことを思い出す。
今回の演奏会でも、その情熱は全く衰えを見せず、曲に対する真摯な取り組み姿勢はステージから離れた後方の席でも十分感じられた。
演奏を聞いて真っ先に感じたことは、物理的な音量、感情や思い入れ、音楽的な歌わせ方やテンポといった音楽を構成する要素の振れ幅(ダイナミックレンジ)の大きさであり、Mendelssohn でソロを弾かれた松田さんも同じような特質を持たれていると感じた。

Dvořák では第2楽章の有名なコールアングレーのソロの後の短調に転調し、世にも美しい旋律をフルートやオーボエが歌うがその後半、牧歌的なオーボエソロのでる直前で、チェロとヴィオラのトレモロの掛け合い部分がある。今までいろいろな「新世界」の演奏を聞いてきたがこんなに背筋がぞくぞくするような「不気味」(誤解を招くかもしれないが、正直こう感じた)な音色を聴いたことが無い。

それからこれは実演を見ないとわからないが(あるいはスコアを念入りに見ればわかることだろうが)、この曲、2番奏者にソロが多い。フルートやホルンで1番で無い奏者にソロがけっこうあることに気付いた。また、終楽章でのヴィオラの頑張り。このオスティナート的なトレモロを執拗に繰り返すことによって土俗的な強烈な音楽を作りだしているのだろう。

東欧での活動が長い小林さんにレッテルを張るつもりはないが、やはりこの曲などはとても近しい存在なのだろうと感じられた演奏会だった。

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群馬交響楽団第515回定期公演(2016/2/13) [オーケストラコンサート]

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2016年2月13日 18:45~、群馬音楽センターにて。
指揮:大植 英次

プログラム:

Bernstein, Leonard:キャンディード組曲(Harmon編)
Strauss, Richard:「バラの騎士」組曲
Brahms, Johannes:交響曲第1番ハ短調 Op.68

指揮の大植さんは、大阪フィルの桂冠指揮者であり、 ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の名誉指揮者とのこと。北ドイツ放送のオケはハンブルクの北ドイツ放送交響楽団が有名だが、このハノーファーのオケはそれとは別物らしい。
今回の演奏会は実に素晴らしい内容であった。前半の2曲については、とても楽しい演奏で思わず微笑みがこぼれ出るようなチャーミングで素敵な演奏だった。フル編成の群響も良く鳴って、しかも気持ち良い響きを奏でていた。

後半のBrahmsは、オケの配置を最近ではあまり見ない、第1ヴァイオリンが左、第2が右、その第2の奥にヴィオラ、その左にチェロ、そして左手奥にコントラバスという形で、まるでムラヴィンスキーか、クレンペラーの録音を聴くようだった。恐らく指揮者の大植さんがBrahmsを演奏するにあたって選択した配置であろうが、今回のプログラムの組み方に即した、前半と後半でがらりと雰囲気を変えることにも効果があったと思う。

このBrahmsは実にシリアスで、素晴らしい名演であった。群響の管楽器奏者たちもほれぼれするような良い響きを出していたし、第2楽章におけるコンサートミストレルの伊藤さんのソロも最後の楽音が消える瞬間まで涙が出るほど素晴らしかった。
そしてティンパニーの「一打入魂」とでもいうべき気合の入った演奏は、この壮大な交響曲全体を引き締めていて、特筆に値すると感じた。

大植英次さんは、初めて群響を振ったにも関わらず、しっかり楽団員の心をつかんでいるように思える。
音楽の流れが、明確に彼の中に存在して、それを楽員に明確に伝えるテクニックや心を持っているようだ。Brahmsにおけるテンポの揺れは聞いている者にとって、実に自然に感じられたし、『こんなところでこんな音が聞こえる』といった驚き(楽譜に書かれたすべての音がきこえる感じ)もあった。

何故かアンドレ・プレヴィンの創り出す音楽と共通するところがあるように思われた。

今夜の演奏は長く心に残るものになるだろう。


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群馬交響楽団 東京 オペラシティ公演 (2015/12/16) [オーケストラコンサート]

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2015年12月16日 19:00~、東京 オペラシティ タケミツメモリアルにて。
指揮:大友 直人
ヴィオラ:川本 嘉子
チェロ :堤 剛

プログラム:

Mozart, Wolfgang Amadeus:交響曲第39番 変ホ長調 K.543
Strauss, Richard:交響詩「ドン・キホーテ」

暖かい一日だった。
このホールは初めてであり、群響を群馬以外の会場で聴くのも初めてなので、大きな期待を持って席に着いた。席は右端。前後は中央あたり。ホールの前後はあまり広くないが天井が後ろから舞台の方向に三角形にせり上がり、頂点はかなり高く大きな空間が広がっており、響きの豊かさを想像させる。入りは残念ながら7割くらいだったろう。

プログラム1曲目のMozartの交響曲第39番が始まる。オケは小編成ながら残響は豊かすぎるほどあり、いつも聞きなれた群馬音楽センターでの群響とは「別物」と思われるほど響きが違う。小さなミスは存在したが、響きの醸し出す「音楽」がそんなものを感じさせない。早いテンポの楽章では楽音が消えないうちに次の音が始まるため、もう少しテンポを落としたらと思うこともあった。
20分の休憩をはさんでR.Straussのドン・キホーテ。狭いステージは楽員でいっぱいになった。ソリストはVaの川本嘉子、Vcの堤剛。堤さんを見ていて以前NHKで見た「75歳最後のドン・キホーテ」というドキュメンタリーの映像でのロストロポーヴィチと重なる。川本さんは指揮者の上手側に位置しており、距離的にも近かったが、ヴィオラってこんなに大きな音が出るのかと感心させられた。堤さんは僕が高校生のころと思うが、レベッカ・ペニーズというピアニストと共演したシューベルトのアルペジョーネ・ソナタがNHKのFMで放送され、それを録音したオープンリールをそれこそ何十回と聴いた。その指版に指がぶつかる音が聞こえるダイナミックな演奏に陶酔し、チェロの素晴らしさに目覚めさせられた僕にとってはかけがえのないチェリストである。今回図らずもその堤さんの実演にこんなに長い年月を経てであったわけだが、恐らく70歳を超しておられる年齢から想像もできない、しなやかな演奏を聞かせていただいた。群響も素晴らしい熱演で、艶々した弦が美しかった。また、テノール・チューバが良い音を聞かせてくれた。

今回、普段聞きなれた群響が違う環境でみせた魅力を再発見したと感じた。「音楽を聴く環境」という意味で、群馬にもこんなホールが欲しいと思う。つい先日、10月の第512回の定期で、群馬音楽センターの後ろよりの席で、何でこんなに木管の音が生々しく聞こえるのだろうと感じたが、もっとマイルドな響きが醸されるようなホールで聴きたいと思う。
高崎に新しい「多目的」ホールが建設予定だと聞く。中途半端なホールにならないことを切に望む。

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コニサー・ソサエティというレコード [レコード]

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以前、ニューヨークにコニサー・ソサエティというレコード会社があった。コニサーとは「通(つう)」という意味になろうか。所謂「通好み」と言われる選曲であり、録音であった。

殆どがチェコのピアニスト、イヴァン・モラヴェッツが弾いたモーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、フランス近代といったところがメインの、アメリカの輸入盤で、僕は1970年代に秋葉原のラジオ会館にあった東陽堂というレコード屋さんで購入したモーツァルトのソナタとベートーヴェンのコンチェルトの2枚を所有している。

モーツァルトはc-mollの幻想曲(K.475)、c-mollのソナタ(K.457)、B-durのソナタ(K.570)で、ライナーノートによると、4本のマイクロフォン(SONY C37-A)で、30"per second , 1/2 inch のテープで録音し、AR-3をミキシングモニターに使用したと記載されている。
また、使用したピアノはアメリカ製のボールドウィンと思われる。

2枚目はこのレーベルとしては珍しく、オーケストラもので、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ピアノ独奏は同じくモラヴェッツで、指揮はチェコ生まれのマルティン・トゥルノフスキー。オーケストラは契約の関係で名前を出せないのか、あるいは本当にあった楽団なのか、ウィーン楽友協会のオーケストラ(Orchestra of the Vienna Musikverein)。録音は1963/10/6-7 にMusikvereinの大ホールで、ベーゼンドルファーのピアノを使って行われたと書かれている。オリジナルカッティングは45rpmで行われ、ジャケットにもその旨書かれているが、ジャケットの右上に33RPMという金色のシールが貼ってあり、実際の中のレコードも33 1/3 rpmでちょっと残念だった。
このベートーヴェンは個人的には大変好きな演奏で、ほのぼのとした寂しい、あまり肩ひじ張らない水の流れのような音楽。でも正直言って、録音は自然ではあるがそんなに鮮烈でもなく、これが「通好み」なのかなぁと思う。オケの藁笛(という笛があるかどうか分からないが…)のようなオーボエの鄙びた響きが印象的。因みに指揮者のトゥルノフスキーは群響の「首席客演指揮者」です。

このレーベルに関してはその後ほとんど耳にしない。消滅したのだろうか?

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群馬交響楽団2015オープニングコンサート [オーケストラコンサート]

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2015年4月18日 18:45~、高崎市の群馬音楽センターにて。
指揮:大友直人(群響音楽監督)

プログラム:

Brahms, Johannes (1833-1897):大学祝典序曲 Op.80
Beethoven, Ludwig van (1770-1827):交響曲第1番 ハ長調 Op.21
Bartók, Béla (1881-1945):管弦楽のための協奏曲 BB123

2015年度のシーズン開幕コンサートで、全席自由席だった。聴衆の入りは最近の定期に比較すると少なめの70%くらいだったと思う。

1曲目のブラームスはあまり出来の良い演奏ではなかったと感じた。そもそもこの曲は、いくつものテーマがメドレーのように現れて、一つの作品としてきちんと聴かせることの難しい作品だと思う。恐らくオープニングコンサートの一曲目で、「祝典」というキーワードで選ばれたのではないだろうか。

2曲目のベートーヴェンは、颯爽とした良い演奏であり、特に緩徐楽章の小気味良いリズムが印象的だった。
編成は勿論オリジナルの2管であるが、弦も各パート1プルトを減らしていた(コントラバスは4本)。古典のオーケストラ曲だから小さめにという云わば短絡的な理由での小編成化ではなく、この第1番のこの解釈に相応しいと納得できる編成であった。それから、別にセットされた一対の小型のティンパニーが使われていたが、固そうな小さなヘッドのマレットによる幾分乾いた音色で、実に良い古典的な雰囲気を醸していた。
以前NHKのN響コンサートで、古楽演奏で有名なロジャー・ノリントンがモダン楽器でベートーヴェンを演奏する際に、ティンパニーの音色にこだわって、色々な楽器を試された話をされていたが、今回の演奏でもこれが音楽監督の意図なのかどうか不明であるが、この楽器の使用と奏者の素晴らしい演奏に敬意を表したい。

バルトークのオケ・コンは、異様なまでの緊張感とその合間のハッと息を飲むような不思議な美しさがその本質であると思う。と、そんなことを考えながら聴いていたら、突然今は亡き上方落語の天才、桂枝雀師の「笑いの本質は緊張の緩和」という言葉を思い出した。バルトークの深刻な音楽と「笑い」はちょっと考えると相容れない関係にあるように思うが、そうでもないぞという思いが湧きはじめた。
群響の演奏は最後まで緊張感の途切れない良い演奏であったと思う。殊にフルートを始めとする木管の美しさと、金管グループの強奏でも濁らない響きは素晴らしかった。

群響の今シーズンのプログラムも、意欲的で魅力的な曲目が並んでいる。多くの人たちに気軽に楽しんでいただけると良いなぁと思う。

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音楽の捧げもの [古楽]

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J.S.バッハの晩年の傑作、「音楽の捧げもの」BWV1079についてお話したいと思う。
そもそもこの曲たちとの出会いは、僕の高校時代に遡る。
僕が生まれた時からお世話になっていた近所のおばさんの娘さんが姉弟のように僕をかわいがってくれて、彼女が社会人になるといつも誕生日に当時としては高価なプレゼントをいただいたりしていた。ある年、当時クラシックのレコードとしては異例のベストセラーになっていたイ・ムジチ(ソロはフェリックス・アーヨ)の「四季」を所望して、プレゼントしていただいた。僕はそれこそ、このレコードが擦り切れるくらい聴いた。
中学生のころからNHK-FMの「バロック音楽のたのしみ」という朝の番組を聴き続けて、服部幸三さんや皆川達夫さんのお話をまさに楽しみに聴いていて、古楽へのあこがれは十分に持っていたので、実際に自分のレコードとして所有し、繰り返し聴くことで砂に水がしみ込むように音楽が心にしみ込んでいったのだと思う。
その後、今は閉店している前橋市のオリオン通りの三界堂で、同じくイ・ムジチとフルートのガッゼローニ(当時はガッツェルローニと日本語表記がある)のヴィヴァルディの「海の嵐」を購入して、聴いた。
そして、お小遣いを貯めてLPが買えるくらいになると、また三界堂に出かけた。店のおばさん(高校生には「おばさん」に見えたのかもしれない)に古い音楽でお勧めは?と(あまり期待せずに)聞いてみたところ、これがお勧めと言われたのが、「音楽の捧げもの」だった。演奏はカール・リヒターが指揮とチェンバロ、ヘトヴィヒ・ビルグラムがチェンバロ、オットー・ビュヒナー、クルト・クントナーがヴァイオリン、ジークフリート・マイネッケがヴィオラ、フリッツ・キスカルトがチェロ、そして後半のトリオ・ソナタでオーレル・ニコレがフルートを吹いている。
レーベルは西ドイツの「アルヒーフ」で、価格も2300円と一般的なLPより高価だった。しかし、おばさんのお勧めと、品の良いジャケットに促されて購入し、早速帰宅して聴いてみた。
バッハの音楽はそれまでにも聴いたことはあったが、やはりとっつき難い印象があったものと思う。しかし今回は自分で購入した高価なLPで、本当に舐めるように聴いた。そしてバッハの音楽の虜になっていったのである。今は三界堂のおばさんに感謝の気持ちがいっぱいである。

去年僕が受講した放送大学の「西洋音楽史」では、目から鱗が落ちるような内容がいくつかあったが、その中の一つが「バッハはバロック時代の偉大な作曲家ではあるが、バロックの典型的な作曲家では無い」ということ。特にこの「音楽の捧げもの」のような対位法の極致ではあるが、時代の潮流からかけ離れた音楽はまさに孤高の芸術と言って良いだろう。

この曲については以下の話が伝えられている。
1747年、晩年のバッハが、フリードリヒ大王に仕えていた次男のC.Ph.E.バッハとその長男(バッハにとっては初孫)に会いにベルリンへ赴いた。フリードリヒ大王はバッハをベルリン近郊のポツダムにあるサン・スーシー宮殿に招いた。そこで大王自らが主題を与え、バッハは即興でフーガやカノンに展開をして見せた。ライプツィヒに戻ってから、そのフーガやカノンをまとめ、大王が得意だったフルートのパートの入ったトリオ・ソナタを付加して、大王に献上した。

僕もいつかはそんなエピソードの残っているサン・スーシーに行きたいと思っていた。その機会は2008年の夏に実現した。ユーレイルのジャーマンパスを使って、フランクフルト、ベルリン、ドレスデン、ハレ、ヴァイマル、ライプツィヒを巡った。その旅の大きな目的の一つがサン・スーシーの訪問だった。
ヨーロッパの他の大宮殿とは一線を画す佇まいで、簡素と言ってもよい小さな宮殿である。しかし、自然に囲まれた周囲の造形の素晴らしさや建物のスタイルの美しさは筆舌に尽くしがたい雰囲気を醸し出している。大王の音楽に関する展示はそれほど多くなかったが、彼が奏したと伝わっているフラウト・トラヴェルソが展示してあった。この美しい宮殿で奏でられる楽音は、さぞ美しく響いたことだろうと思った。

昔、よくこんな遊び(?)があった。無人島にたった1枚だけLPを持って行けるとしたらどれを持って行くか?
無人島でLPを聴く電源はどうするのかとか、疑問はあるところだが、僕の場合はずーっとこの「音楽の捧げもの」をあげることにしている。それだけ美しいとともに、深い謎を秘めた音楽だと思っている。


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録り溜めたオープンリールのデジタル化について [録音]

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ほぼ40年以前、FMでエアーチェック(懐かしい言葉!)したオープンリールをヒマに任せてデジタル化している。
当時はテープも高価だったし、お金も無かったし、あまり良くなかった演奏は消されて上書きされる運命だった。そんなフィルターを通って生き残ったテープたちは、そんなに良い音でもないけど繰り返し聴いてきたなかなか捨てがたいものが残っている。
1973年に渋谷のNHKホールが完成し、記念公演でサヴァリッシュ/N響の第9の生中継をはじめ、その年の秋にはカラヤン/ベルリンフィルの来日公演、1975年にはベーム/ウィーンフィルの初めての来日公演、これも全プログラムが中継された。その演奏もさることながら、生中継の長い曲間の時間を埋める後藤美代子アナウンサーと、作曲家の柴田南雄さんや音楽評論家の大木正興さんたちの味わい深い話が、今となってはとても懐かしい。
FM東京では「TDKオリジナルコンサート」というクラシックの収録番組があり、毎週興味深い演奏の放送を行っていた。当時、FMの番組をネタにした雑誌が発行されており、僕は2週間に一度出ていた「FM fan」を定期購読していた。そこにはTDKがオープンリールの収納ケースに貼るための番組のタイトルラベルが印刷されたコマーシャルのページがあり、毎週録音したテープのケースを美しく仕上げるのがとても楽しかった。その頃、小澤征爾さんが新日フィルとハイドンを多く取り上げており、晩年の2曲のオラトリオもその番組で放送し、今もその録音が残っている。
写真のオープンデッキはTEACのA-6010GSLで、確か3代目のデッキである。3モーターで信頼性は高いが、いかんせん製造から40年経っており、色々と不具合が出ている。このデッキの調子を見ながらできるだけ良い状態で少しづつデジタル化を進めたいと考えている。

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群馬交響楽団第507回定期公演(2015/3/21) [オーケストラコンサート]

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2015年3月21日 18:45~、高崎市の群馬音楽センターにて。
指揮:大友直人
ピアノ:河村尚子

プログラム:

Prokofiev, Sergei (1891 - 1953):ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 Op.26
Mahler, Gustav (1860-1911):交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

今回の定期公演は、音楽監督の大友さんの指揮で、明晩の東京公演も同じプログラムで行われる。
演奏された2曲とも大変な熱演であり、楽員一人ひとりの曲に取り組む真剣さがひたひたと伝わるような良い演奏だった。

プロコフィエフのソリストである河村尚子さんは、ステージに登場された時のにこやかでチャーミングな笑顔が、曲の始まりとともに怖いくらいの真剣さに変わり、その打鍵の的確さは一音一音が全てツボにはまる感じで、攻撃的なリズムを押し進めていた。
僕はこの演奏を聴きながら、テニスの天才プレーヤーのミラクルショットを見るような快感を感じ、このような楽しみ方ができるクラシックの懐の深さを実感していた。また、以前、都響の定期で聴いたルトスワフスキのオケコンの演奏で同様の感覚を感じていたことが蘇ってきた。

マーラーも極めて立派で、目の詰んだバランスのとれたとても良い演奏だった。大友さんの指示は的確に見え、おそらく弦のアーティキュレーションも細かく指示されていたように思う。何よりも全員で音楽に立ち向かう楽員の姿勢が気持ちよく感じられて、音楽する喜びに溢れた近年に無い名演であったと感じた。


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群馬交響楽団第506回定期公演(2015/2/28) [オーケストラコンサート]

2015年2月28日 18:45~、高崎市の群馬音楽センターにて。
指揮:ジョセフ・ウォルフ
ピアノ:漆原朝子

プログラム:

Elgar, Edward (1857-1934):ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 Op.61
Sibelius, Jean (1865-1957):交響曲第5番 変ホ長調 Op.82
同:悲しいワルツ Op.44 (アンコール)

群響の定期演奏会では、プログラム・ノートを書かれている音楽評論家の渡辺和彦さんが、開演前に当夜演奏される曲目の解説を行うことが恒例となっており、その中で1曲目のヴァイオリン協奏曲について、その演奏時間の長さについて触れていた。この曲の50分という長さは異例で、おそらく現在コンサートのプログラムに乗る曲の中では最長ではないかということ。
最近ではコンサートでも米英圏で勉強されたヴァイオリニスト(漆原朝子さんもジュリアード音楽院を卒業されている)がこの曲を取り上げることが増えてきたと渡辺さんがおっしゃっていたが、僕も初めて聴く曲であり、軽く夕食を済ませてきた後でもあり、睡魔に襲われる可能性大と恐れていたが、そんなこともなくエルガー特有のノスタルジーやイギリス音楽の真面目さを感じさせ、50分という時間を感じさせない演奏だった。
ソロの漆原さんは手慣れたというと語弊があるが、実に自然にこの長大な協奏曲から美しい音楽を紡いでおられた。

休憩後のシベリウスは、30分ほどの3楽章の構成で、ほっこりとした主題で始まるコンパクトで良い曲という印象。正直、シベリウスという作曲家の交響曲は、1番、2番を除いては渋くてとっつき難い印象があるが、この5番に関してはとても楽しめた曲である。
鳴りやまない拍手に応えて、珍しくアンコールがあり、今回も満足の一夜だった。

群響のシベリウスというと、思い出すのは1982年の4月に前橋市の群馬県民会館で聴いた交響曲第2番で、指揮は音楽監督の豊田耕児さんであった。当時の群響はその豊田さんによってとてもバランスの良い楽団になって行った印象があった。このシベリウスもまことに丁寧な音楽づくりで、豊田さんの人柄を存じ上げているわけでは無いけれども、その真面目な人となりを表しているかのような演奏だった。

豊田さんと群響の共演を初めて聴いたのは、1980年4月に当時群響でホルンを吹いておられたKさんから、定期演奏会の招待券をいただき、久々に妻と群馬音楽センターで耳にした演奏だった。当夜のプログラムはモーツァルトのクラリネット協奏曲以外はよく覚えていないが、幾分くすんだ弦の響きとソロのカール・ライスターの弱音の美しさがモーツァルト晩年の安らぎにも似た諦念を見事に表していて、この曲の最高の演奏として記憶している。たまたまその1週間ほど前に、僕と妻はイースター音楽祭の行われていたザルツブルクで、ブランディスSQとライスターのブラームスの五重奏曲を聴いたばかりだったので、この群響との共演もとても印象に残っているものと思われる。

当時、その群響の演奏を聴きながら思ったことは、モーツァルトの本質を伝える音質は決して輝くような美しい響きではなく、くすんではいても、得も言われぬ雰囲気を醸し出す弦の響きは何物にも代えがたいものがあるということ。
その後、30年の歳月が流れ、当時のメンバーも粗方新しいメンバーに入れ替わっているが。良い伝統を継承してますます個性的な得難い楽団になってゆくことを期待して今回の文章の終わりとしたい。



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群馬交響楽団第505回定期公演(2015/1/31) [オーケストラコンサート]

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2015年1月31日 18:45~、高崎市の群馬音楽センターにて。
指揮:アンドレアス・デルフス
ピアノ:小曽根 真

プログラム:

Kernis, Aaron Jay:ムジカ・セレスティス(Musica Celestis)
Gershwin, George:ヘ調のピアノ協奏曲
Beethoven, Ludwig van:交響曲第7番 イ長調 Op.92

今回も音楽センターはほぼ満席で、冷たい北風の中、多くの聴衆が集まっていた。

1曲目のアーロン・ジェイ・カーニスの「ムジカ・セレスティス」という曲は、プログラムノートによると「天上の音楽」とのこと。
編成は弦楽5部で、群響の弦楽フルメンバー。このアメリカ現代の作曲家の作品を聴くのは初めての体験なので、どのように来るのかと耳を澄ませていたら、冒頭のフラジオレット的な高い弱音から始まる美しい調性の和音が、ぶつかりながらたゆとう感じ。雰囲気は後期ロマン派。
アメリカの層の分厚さを感じる。サミュエル・バーバーみたいなネオ・ロマン的な作曲家と一言で片づけるのは危険だが、近い存在かと思われる。中盤過ぎのFFで和音がぶつかりながら高まってゆき、ゆったりと和声で解決する気持ちよさもあり、この作曲家の他の曲も聞いてみなくなる。

ガーシュウィンは小曽根さんの独壇場という感じ。特に終楽章のカデンツァでは、一気にオーケストラのクラシック語法から解放されて、まさに思った通りの音楽を奏でていたと思う。
ジャズとクラシックの根本的な言語の違いを融合させて、同じステージで聞かせようとするガーシュウィンの挑戦は、演奏する者にとっても大きなフラストレーションを伴うように思う。
鳴りやまぬ拍手に応えて、小曽根さんは「現在イスラム国に拘束されている日本人とヨルダン人が速やかに帰宅できることを皆でいのりましょう」というメッセージと、彼の「Home」という美しい小品をアンコールで弾いてくれた。

後半のベートーヴェンは群響の手慣れた音楽でもあり、指揮のデルフスの「ノリ」の良さから、圧倒的なフィナーレまで一気に聞かせてくれた。楽章間の休みも殆どなく、ちょっと時間を置いたのは第2、第3楽章の間のみでそれ以外はアタッカにちかい間の取り方だった。恐らくこの指揮者の意図で、この交響曲の特性からそのように気分の連続性を重要視したものと思われる。

ベートーヴェンの7番の交響曲については、個人的に1972年8月のカール・ベーム/ウィーン・フィルのザルツブルク音楽祭におけるライブ録音(NHK FMによる)の演奏が現在に至るまで最高だと思っている。このオープンリールに収まった38分間は僕のかけがえの無い財産だと感じているし、デジタル化した音源は今でも僕のipodの主要レパートリーの一つだ。
第1楽章の明るい第2主題がオーボエのソロで暗転するところや、第2楽章で最初のpで始まる主題の重い足取りが、再現される部分で更にppで奏されるところ、また、終楽章の考えられないくらいの盛り上がりといったベートーヴェンの音楽の持つ偉大な力を感じないわけには行かない。

今回のコンサートも満員の群馬の聴衆に大きな充実感をもたらした。次回の演奏会が楽しみである。

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